仏陀の物語(8)降魔成道

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降魔成道

ナイランジャナーのほとりの菩提樹の下に結跏趺坐した太子は、「正覚を成ぜずんばこの座を起たず」と誓言したのですが、欲界の魔王はこれを喜ばず、成道を阻もうといろいろの手をつかって襲いかかるのです。

魔王は自ら弓矢をとり、娘の魔女らを率いて菩提樹の下に攻めよせて来たと伝説は語っています。

そして武器をもって威嚇しにかかってきました。

このとき魔王の放った矢は空中に停まり、やがてその矢鏃(やじり)は静かに下降し、地につくや、蓮花と化しました。


魔王の娘三人は、媚態を示して、太子を誘惑しようとします。

これら三人の魔女も、やがて醜い老女と変じ、太子成道の阻害は失敗に終るのです。

ついに魔王は甘言をもって太子を迷わそうと、偈(げ)を唱えて迫って

「苦行を続けよ、それによってのみ、若者は清浄な境地に至る。
汝、浄めの道を離れるなかれ。
清められることなく清しと思うなかれ。」

太子はこのことばを、魔王のしわざと見破って、偈(げ)をもって答えるのです。

「不死のために、苦行を続けたれどすべて益なきことと覚れり。

陸に上がりし舟の櫨舵のごとくにそれは、まったく用をなさざり。

われ、戒と定と慧を体し、菩提の法を修め来たりたり。

かくていや無上の清浄界に立つ。

破壊せんとする者よ、汝の力は尽きたり。」

魔王はここに至って「仏陀はわれを見破ったか」と敗北を覚りました。

この時、太子の右手がたちまち膝上より伸びて、大地を一撫ですると地の神たちが忽然と湧き立って、一挙に悪魔の軍勢を打ち払ってしまうのです。

魔軍は周章狼狽(しゅうしょうろうばい)して姿を消し去りました。

あとは、諸天善神、太子の成道を讃美し、天地を覆いました。

仏陀(釈尊・釈迦)の言行を書きのこしている経典のなかには、悪魔との物語が数多くあるようです。

仏陀(釈尊・釈迦)はこの悪魔とは、人間の心の内にある悪い欲望と思い、またそれは人々の不安に根ざして起きてくる思いに他ならぬと説きあかしています。

一連の魔王との戦いややりとりは、まさに仏陀(釈尊・釈迦)白身の内なる不安とのだたかいを語られたものなのです。

「魔」という言葉は、もともとサンスクリット語の「マーラ」からきています。これは「悪魔」という意味です。

歴史的には「降魔成道」といい、仏陀(釈尊・釈迦)が菩提樹の下で悟りを開いたときに、最後の悟りを開く前に、魔がやはり現われてきて、さまざまな誘惑や攻撃をし、なんとかして悟りを開かせまいと努力したということが、歴史的事実として遺っています。

現代では、それを物語としては読んでも、大部分の人はあの世を信じないし、ましてや、おとぎ話のように魔というものが出てきて、さまざまな妨害をするということなどが、ありえるとは思えませんので、話半分で聞いている方も多いようです。

「仏陀(釈尊・釈迦)の成道、すなわち悟りに入ること、悟ることへの妨げとして現われた魔とは、実は釈迦自身の内面の葛藤であり、悩みのことを魔と語っている」と理解している方もいるようです。