「上水菩提、下化衆生」こそが人間の生きる道
仏陀(ブッダ)がお誕生のときに右手で上をさし、左手で下をさしています。これは普通、「天上天下唯我独尊」(この世に自分より尊いものはない)という意昧にとっていますが、「上水菩提、下化衆生」の象徴として見たほうがいいと考えています。
「上水菩提、下化衆生」こそが人間の生きる道だと思われます。
仏陀(ブッダ)の話し伝えた言葉の中に闇夜を照らす光を見つける。
戦国時代の仏教と、泰平の時代の仏教とは違うし、高度成長期の仏教と、いまのような平成の時代の仏教は違いますね。
人間は、その時代その時代に応じて、仏教という広い宝の山から自分たちの生きる指針を取り出していました。
だから、「あの時代にはあれ、この時代にはこれ」でいいと思われます。
そう考えると、いまの時代は人問の命が軽くなっていて、みんなの気持ちが僻(ひがみ)になっていますから、誰もがこの不安な世の中を安心して生きていけるような心強い教えを求めていると思います。
いろんな社会的不安もある、老後の不安もある、それから政治家やお役所も信用できそうもありませんね。
隣人さえも安心できませんし、いまは小学校の子どもに「知らない人から声をかけられたら走って逃げろ」と教えているところもあるらしいです。
それほど人間不信の世の中に、穏やかな気持ちで不安というものを抱かずに生きていけるような教えを仏教の中から探すことが、いまの最大のテーマだろうと思います。
不安の時代、僻(ひがみ)の時代の中で、明るく落ち着いた気持ちで自信を持って生きていくことを大事にして仏教と向き合うべきではないでしょうか。
仏教は、闇を照らしてくれる光の役目かもしれません。
世の中の闇や心の闇を、淡い光でもいいから、ほんの一瞬でもいいから、照らしてくれる。
その光が射してくれば安心できる。
仏教というのはそういう光なのだと思います。
「仏教はよりよく生き、よりよく死ぬための教え」ではないでしょうか。