仏陀の教え(6)初転法輪

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最初の説法を初転法輪

 仏陀(ブッダ)はブッダガヤーで一人坐禅をして、悟りを開きます。

これを誰かに伝えたいと思ったけれども誰もいません。

あれこれ考えた末に、先の五人の友達に最初の説法をしようと決めるんです。

5人とは
* 嬌陳如(きょうじんにょ)
* 跋提(ばつだい)
* 婆沙波(ばしゃば)
* 摩訶那摩(まかなま)
* 阿説示(あせつじ)

彼らがどこにいるのかを尋ね歩くと、鹿野苑にいるということがわかりました。

ブッダガヤーから鹿野苑までは、およそ二百キロの路を十日間かけて歩いていきます。

説法の出発点にある

「話しても伝わらない。」

という思い釈尊は鹿野苑に着いて五人の友達に会いますが、五人は「苦行を捨てた堕落をした奴から話しかけられても黙殺しよう」と話し合っていました。

しかし経典によると、大悟した仏陀(ブッダ)の徳が彼らの心を和らげ、いつの間にか釈尊の話す悟りの内容に耳を傾けて、ついに釈尊を師と仰ぐようになったとあります。

この最初の説法を初転法輪といいます。

仏法を広めることを戦車の車輪を運転するのにたとえたわけです。

法の車輪が回りはじめる、その最初の回転です。

仏陀(ブッダ)が友達に法を説いたというところが、初転法輪の一番大事なことだと思います。
ですから、原文では「友よ」と呼びかけていました。

友というのは同じレベルで、師弟という関係がありません。

そこに仏教思想があります。

仏陀(ブッダ)は五人の友人に説きながら、五人と切磋琢磨していきました。

ここに布教の体系や基礎というものができたのだろうと思われます。

その会話はきっとこんな感じではじまったのではないかと想像できます。
「苦行林を出て何をしていたんだ」
「真実を悟った」
「何をバカなことをいっているんだ」
きっと、そういわれて嘲笑されたことでしょう。

あるいは、からかい半分で
「じゃあ、ちょっと話してみろ」といわれたかもしれません。

いまに伝わるエピソードによると、最初のうち仏陀(ブッダ)は自分が悟った内容は理解されないだろうと思って、世人に法を説くのを躊躇しました。

苦行の果てに苦行を捨て、瞑想によって悟りを得たとはいってもそれは個人的なものではないのか、と。

しかも、あまりにも画期的な考え方であったから、それを言葉にして話しても理解されるわけがないと考えたのかもしれません。

だから、これは何もいわないに限ると思ったようです。

話しても伝わらないと思ったのでしょう。

ごの「話しても伝わらない」というのは仏陀(ブッダ)のひとつの大事な発想です。

のちに「枯華微笑」という、言葉を使わずに心と心で理解しあうという概念が出てきますけれど、その大本にあるのが、この「話しても伝わらない」という発想ではないかと思われます。

仏教の長篇の経典には必ず、まとめとしてリズミカルな謁(詩)がついていました。

話を戻しますと、釈尊が「話しても伝わらない」と思っていたところに「梵天勧請」という有名な話が出てきます。

真理を語ろうとしない仏陀(ブッダ)に梵天という神様が「この世の中にはいろいろな人がいて、あなたが悟った真理を理解できる人もいます。

だから自分が得た真実を他人に語りなさい」
と説法をすすめにくるという話です。

このお告げによって、仏陀(ブッダ)は説法をはじめたというのです。

『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである』

これが、第一声でした。

この中道のあと、四諦と八正道の教えが説かれたといわれています。
それで、ポツポツと語りはじめると、半信半疑で聞いていた昔の仲間が納得して
「あなたのいうことはもっともだ。いままで考えたこともないような素晴らしいことだ。

それは確かに真実に違いありません。自分たちを弟子にしてくれ」と。

ここから少しずつ仏陀(ブッダ)の教えが広がって行くわけです。