「縁(えん)」と「運命(うんめい)」について

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「縁(えん)」と「運命(うんめい)」は、日本の日常生活において人との関わりや人生の成り行きを語る際に用いられる言葉ですが、仏教の教え、特に縁起の思想においては、「縁」が世界の真理を説く中心概念であるのに対し、「運命」や「運」といった概念は基本的に否定され、自らの行為(業)因果応報の法則によって代替されます。


1. 縁(えん):相互依存と大切さの教え

仏教において「縁(えん)」は、因縁生起(縁起)の思想を示す根本的な用語です。

縁起の法則

すべての現象や存在は、(結果を生む直接的な原因)と(因がどのような方向にいくかが決まる間接的な原因や条件)の二つの要素が関係し合って生じる。

仏陀(ブッダ)は「縁起」を発見したと言われており、これは「物事は〜に縁(よ)りて、起こる」という意味です。この法則は、ものごとの相依性(相互に依存し合う関係性)を記述しており、この世に孤立して存在するものは一つもないという重要な世界観を表します。

  • 例えば、植物が発芽する直接原因が「種」であるのに対し、土、水分、栄養、日光などが「縁」となります。
  • 「これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる。これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する」という形で縁起の法則は示されます。

人生における縁

縁起の教えは、私たちの存在や日常の出来事にも深く適用されます。

  1. 人間関係の不思議さ:見知らぬ者同士が同じ木陰で休むこと(一樹之陰)や、道ばたで袖が触れ合うほどのささいな出来事も、すべて前世からの因縁(他生の縁)によるものであり、おろそかに思ってはいけないとされています。
  2. 夫婦の結びつき:「縁は異なもの味なもの」という言葉が示す通り、男女の結びつく縁は不思議なものだとされます。
  3. 無常を理解し縁を大切に:この世は諸行無常であり、絶えず変化し、同じ会は二度と帰らないため、日常生活においても一期一会の心を持ってご縁を大切にすべきだと教えられています。

また、「縁」とは、人から愛され、人を愛してこそ、人と人との関係が成り立つ、人間は一人では生きられない存在であるとする、仏教的な人間観を指します。

縁と運命の対比

仏陀(ブッダ)が発見した「縁起」とは対極にある考え方が「運命」です。

  • 「運命」が何らかの大きな力によって未来が現在の事柄に関係なく決まっているという考え方であるのに対し、「縁起」は未来にあることは、現在の事柄に縁って起こったものの結果としてあると考えます。
  • 縁起の法則は、私たちが日々遭遇する出来事のすべてを記述しうる法則であり、仏教徒が世界を認識するための智慧の根幹です。

2. 運命(うんめい)と運の否定:カルマ(業)の法則

仏教は、一般的に信じられているような「運」(幸運や不運)や、あらかじめ定められた「運命」という考え方を否定し、その代わりに業(カルマ)の法則を説きます。

運命論の否定と自己責任

多くの人が裕福で健康な人を見て「幸運」だからだと言いますが、仏教は「運」というようなものはないと教えています。もし不幸があるなら、それは誰を責めることもできない自らの過失であるとします。自分の不幸を「不運」のせいにするのは愚かなことでしかないとされています。

  • 運命は決まっていない:運命は変えられないと思うのは自分自身であり、自分の境遇や運命的なことばかり考えて悲観しているよりも、変えられないと思い込んでいる運命を変える方法を自分で探すことが先決です。なぜなら、未来のことで決まっていることは一つもないからです。
  • 死生命あり:ただし、「人の死と生は、天の命(運命)によって定められている」という意味の慣用句(死生命あり)も資料にありますが、これは中国の古典『論語』に由来するもので、仏教の無常観や因果応報の思想が背景にあるとされつつも、絶対的な決定論(運命)は仏教の教義とは異なります。

業(カルマ)と因果応報の法則

「運命」を否定する代わりに、仏教は原因と結果の厳格な道理(因果応報)を説きます。

  1. 業(カルマ)の定義:業とは、単なる行為を指しますが、因果関係と結合して、前々から存続して働く一種の力とみなされ、必ず善悪・苦楽の果報をもたらすとされます。行為は、身体での行い(身)、口で話す言葉(口)、心で思うこと(意)の三つ(身口意)を総合して考えられます。
  2. 善悪の報い:良い原因(良い行い)は良い結果(幸福)を生み、悪い原因(悪い行い)は悪い結果(不幸)を生みます。
  3. 過去生の影響(宿業):善行を積んでいても不運なことが起きる場合、それは過去生の悪いカルマを今生で刈り入れているのだと説明されます。カルマは熟すのに時間がかかる場合があり、今生での行為が来生で実を結ぶこともあります。宿業は、過去世で解消できなかった傷を次の世に伝えるものとされ、「親の因果が子に報い」という言葉も、この魂にすり込まれた過去の業の影響を戒めたものです。
  4. 果報は熟す:悪い行いをする人が栄えているように見えても、彼らが蒔いている悪い種は遅かれ早かれ不幸を実らせることが知られています。果報は、その行為者にもたらされる報いが熟す時に訪れるとされます。

このように仏教では、人生の苦楽は不可知な「運命」によるものではなく、自らの意志(意業)を含む行為の結果(業・カルマ)であり、この原因(因)と条件(縁)によって結果が生じる縁起の法則こそが、世界を動かす真理であると説かれています。