無相(むそう)
形やすがたのないことです。
特定の相をもたない事。
物事には固定的なすがた、実体的なすがたというものがない、という意味です。
無相(むそう)とは仏教における用語の一つで、形や特徴がないこと。
対義語は有相(うそう)。
一切の執著から離れた境地をも指す。三解脱門の一つに数えられる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
無相(むそう)
形やすがたのないこと。特定の相をもたない事。物事には固定的なすがた、実体的なすがたというものがないという意。有相はその反対。
「責任が何処にあるのか、うやむやになる」という「うやむや」は、いいかげんなこと、曖昧なことなどを意味します。また、「有無を言わせない」とは、「つべこべ言うな」・「いやおうなし」にという意味で使われています。
仏教では有象無象は、有相無相とも書き、有形無形の一切のもの。森羅万象をいうのです。
有象無象≒有相無相。漢字の表記は、「有相無相」の方が「有象無象」より先なのです。
その「有相無相」の言葉の起こりは、
古代インドでは、「物質には実体が有るか無いか?」なぞと、いろいろその命題をめぐって、「有相・無相」の論争が展開されました。それで、「有耶(ありや)?・無耶(なしや)?」と盛んに議論したのです。
そんな論争の中で生まれた言葉です。
これに対して、お釈迦さまの答えは、
有に固執する常見も、無に固執する断見も、ともに偏見だとして、真ん中を説かれました。所謂中道なのです。
「中道」であると教えられました。 その事から「有無を言わせない」とも変化します。
「嘘も方便」は、同じく仏教に由来する「有相方便(うそうほうべん)」という言葉を茶化したものだともいわれています。
「有相」とは形あるものという意味で、対義語は形をもたない「無相(むそう)」です。
仏が伝えようとする真理は形のないもの(無相)なので、そのままでは人間が理解することはできません。
それを言語や絵画、仏像などの目に見える形(有相)にしたものが、真実ではないが真実に近い「方便」です。