善いことばの原則

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『真理の言葉』(スッタニパータ)の最後には、【よき言葉】として、欠点のない、非難されないことばの四つの原則が説かれています。

  1. 最上の善いことばを語ること
    • 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語るべきであるとされています。これこそが、実に善く説かれたことばであるとされます。
    • 仏陀が説く安らぎ(ニルヴァーナ)に達し、苦しみを終滅させるためのおだやかな言葉は、実に諸々の言葉のうちで最上のものである、とされています。
  2. 正しい理(ことわり)を語り、理に反することを語らないこと
  3. 好ましいことばを語ること
    • 好ましいことばのみを語るべきであり、その言葉は人々に歓び迎えられることばでなければなりません。
    • 感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみを語るべきであるとされます。
  4. 真実を語り、偽りを語らないこと
    • 真実は実に不滅のことばであり、これは永遠の理法であるとされます。
    • 立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、また理法の上に安立しているといわれます。

八正道としての「正語」

「正しい言葉」(正語)は、仏陀が説いた苦を滅するための道である八正道の一つであり、仏陀は言葉を大切に使うことを繰り返し説いています。

正語とは、恒に真理に合った言葉使いをすることを指します。

避けるべき「口の四悪」

社会生活の上で慎まなければならない行為として、「口の四悪」(口の四悪業)が挙げられています。

  1. 妄語(もうご):嘘をつくこと。
  2. 両舌(りょうぜつ):都合や立場で使う二枚舌(両方の人に違ったことを言い、両者を離間して争わせること)。
  3. 悪口(あっく):破壊的な悪口(一般には「わるぐち」「あっこう」と読むが、仏教では「あっく」と読み、悪心をもって他者を罵り、相手を悩ませ、傷つける言葉を指します)。
  4. 綺語(きご):口から出任せのいいかげんな言葉(真実にそむいて巧みに飾りたてた言葉、道理に合わないでたらめな言葉、真実がないのに表面だけを巧みに飾った言葉)。

正語の積極的な側面

正しい言葉は、これらの悪を避けるというマイナス面(不誠実さ、怒り、醜悪さがない)だけでなく、プラス面も持たなければなりません。

  • 理性のある親切で優しい言葉によって、話している相手に幸福を運ぶような話し方をすべきです。
  • 言葉によって幸福を運べない場合でも、少なくとも間違った言葉によって相手を傷つけてはいけません。
  • 嘘をつくのは間違った言葉の最悪のものであり、特に誰かを傷つける嘘はその中でも最悪です。
  • また、真実を語っていても、それによって人を悲しませたり傷つけたりするのは間違いであり、ただ黙っているほうがいい時もあるとされます。仏陀は自身の例によって、時に沈黙は語ることより優れている、真実の言葉でさえあると示しています。

善いことばの実践と慈悲

「善いことば」は、単なる話術や儀礼的な言葉遣い以上の、慈悲と智慧に基づいた心のあり方を反映します。

和顔愛語

「善いことば」の実践として特に強調されるのが「和顔愛語」(わげんあいご)です。

  • これは「和やかな顔(和顔)」と「優しい言葉(愛語)」で他者に接することです。
  • 和顔愛語は、財物を施すことにも勝る心の施し(布施)の一つであり、愛語施(言辞施)として、慈しみに満ちた優しい言葉や思いやりのある態度で言葉を交わす行いを意味します。
  • この態度は、心に余裕がなければなかなかできるものではありません。

言葉と行為、そして心

正しい言葉の後には直ちに正しい行為が続くとされ、この二つには密接な関係があるため、言葉は人がどんな人間なのかを知人に知らせるものとなります。賢明な人は愚かな言葉を使わず、親切な人は残酷で粗野な言葉づかいはしないものです。

仏教では、身体での行い(身)、口で話す言葉(口)、心で思うこと(意)の三つ(身口意)において慎みを持つことが、自分を護る賢者の態度であると説かれています。特に言葉は、人への思いやりをもって語るべき大切なものであるとされています。

真に自己を愛する者は、他の人もまた自己を愛すべきであることを了解しているため、悪しき言葉を語ったり、悪しき思いをいだいたりすることはありません。自己を愛すべきものと知るならば、自分を悪に結びつけてはならないと説かれています。