仏教のことば

大袈裟(おおげさ)

仏陀(ブッダ)の精神はしだいに忘れられ、袈裟は仰々しくなり、「大袈裟」のことばが生まれてきました。仏陀(ブッダ)が城を出て森に入って剃髪した際、彼は釈迦族の王子として身につけていた立派な衣服を、猟師の粗末な服と交換したという伝説が残っていま...
記事

懐石(かいせき)

温めた石を腹に当てて、飢えをしのいだ「懐石料理」。お茶の席につきものの「懐石料理」。これが分かれていったのが「会席料理」。本来は、簡素な食事を意味することばであり、そのルーツは仏陀(ブッダ)の時代にまでさかのぼることができます。今でこそ日に...
仏教のことば

日常茶飯(にちじようさはん)

高尚な真理も、平凡な毎日の暮らしの中で、それこそ、ありふれた行為のごとく実践されてこそ意味がある。日ごろ私たちは、お茶を飲んだり、食事をしたりすることを毎日繰り返しています。そのように、ごく日常のことを表しています。そこから転じて、特に取り...
本の紹介

千日回峰行

「一日一生」の中に、「足が疲れたら、肩で歩け」「一日一生」の著者である酒井雄哉(さかいゆうさい)師は比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶だそうです。一体千日回峰行とはどんな行なのでしょうか。千日回峰行は、平安期の相応が始めたとされ...
仏教のことば

道楽(どうらく・どうぎょう)

今、已に道楽を得る本職でないことに没頭したり、好ましくない遊興にふけったり、現在、日常語としての「道楽」は、本来の意味からかけ離れ、あまり好ましくない表現として使われているように思います。身持ちのよくない人間とか、怠け者を、一般に「道楽者」...
仏教のことば

有り難い

有り難いとは、「あることが稀れだ」と「ありがとう」は感謝する意味ですが、その語源は「有り難し(ありがたし)」といいます。原典は法句経というお経に『人の生を享くるは難く やがて死すべきもの 今いのちあるは 有り難し』とあるように、今生きている...
仏教のことば

仏教の一期一会

「時」を「今の一瞬」としてとらえ、人との出会いを大切にし、おろそかにしないように自分も大好きなことばに「一期一会」ということばがあります。別の自分だけのブログにのこのことばで表題をつけています。人生のいろんな場面でよく出てくることばですが、...
仏教のことば

仏陀(ブッダ)の『真理の言葉』

最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほうがすぐれている。仏陀(ブッダ)の『真理の言葉』(中村元先生)という本があります。この本を参考にして「仏陀の教え」「真理のことば」のページを作成しました。原始仏典を日本語訳さ...
お知らせ

一日一生とは

日々の暮らしの中で1日を1生と思って過ごすというのは中々できない京都駅からJR湖西線で20分弱。比叡山坂本駅から車で10分ほど走った山中に、天台宗比叡山飯室不動堂長寿院住職の酒井雄哉(ゆうさい)さんがいらっしゃいます。比叡山には、山中や京都...