仏陀真理のことば: 第二一章さまざまなこと

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第21章は「さまざまことで、広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよと説いています。

自分の快楽を得るために、他人を苦しめるというようなことはしないのが普通だと思います。

他人を苦しめてまで自分の快楽を得ようとする人は、ごく少数だと思うのです。
例えばその少数の例として、泥棒などです。

他人のもの、お金などを奪って自分の快楽を得るわけです。

問題はそういうことではない様に思います。

自分が他人を苦しめていることに気がついていないのです。


上司と部下の場合に非常に多くその例が発生します。

部下に対して上司はいろいろの仕事を言いつけたり、注意したりしていますが、この場合上司は、決して部下に対して苦しめてあげたいと言う意識は持ちません。

何かを依頼したりするのは、仕事であるから当然のことであり、意地悪しているつもりは全くありません。
たとえば、君の考えている商品を開発したとすれば、どれだけ売れるかまず市場調査してみてくれ、と頼むわけです。

しかし部下にとって見ると、そうとは限らないのです。

その部下が市場調査をすでにやっており、調査の仕方を心得ているなら問題はないのですが、研究開発者であって市場調査のやりかたを心得ていないとすると、この場合部下にとっては非常に辛いことになるのです。

上司から見れば、単に商品開発に着手するのではなく、市場性をも見極めてから着手しなくてはなりません。
部下にしてみれば、俺は研究者で商品の構造設計はできるけれども、市場調査なんてどうやってやればのかわからないのです。
だけど給料もらって生活するためにはやらなきゃならないしなあ。
と言うことになるのです。

そして調査結果をまとめたとしましょう。
上司はその報告を聞いて、調査の仕方のまずさを指摘します。

このとき、通常はしかる態度をとってしまいます。
すると部下は、ああやっぱりか、おれはこの会社に向いていないのかなぁ、こんちきしょう、あんな言い方しなくてもいいのにさ。
と恨みをかうことになってしまうのです。
それを言えば人事考課は下がり、ボーナスは少なくなり、将来の出世さえ危ぶまれます。

あの上司のためなら、どんなことでも成し遂げてやろう、などと言うプラス思考ではなく、マイナス思考になっていってしまうのです。

他人を苦しめていないか、充分に注意を払いながら行動しないと、知らないうちに恨みをかうことになってしまうのです。

290
つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのなら、心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。

291
他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は、怨みの絆にまつわれて、怨みから免れることができない。

292
なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。

293
常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけている人々には、もろもろの汚れがなくなる。

294
(「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の武家の王をほろぼし、(主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である)国土と(「喜び貪り」という)従臣とをほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

295
(「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし、第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

296
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。

297
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に法を念じている。

298
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。

299
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。

300
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も不傷害を楽しんでいる。

301
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。

302
出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい。
在家の生活も困難であり、家に住むのも難しい。
心を同じくしない人々と共に住むのも難しい。
(修行僧が何かを求めて)旅に出て行くと、苦しみに遇う。
だから旅に出るな。
また苦しみに遇うな。

303
信仰あり、徳行そなわり、名声と繁栄を受けている人は、いかなる地方におもむこうとも、そこで尊ばれる。

304
善き人々は遠くにいても輝く、──雪を頂く高山のように。

善からぬ人々は近くにいても見えない、──夜陰に放たれた矢のように。

305
ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。