仏陀の教え(12)「四諦」

スポンサーリンク

「四諦」

人生の根本にある真理を「四諦」という、四苦八苦を背負いつつ、この世は無常であるという真実から目を反らさずに、なおかつ希望を持って明るく人間らしく生きていこうと。

そういう道があるか、とブッダは自らに問うたわけです。

そして、「ある」と考えました。
それから次に、「ある」とすればどうしたらそれを実現できるのかと考えるわけです。

そして語られたのが「四諦」という四つの真理です。
その四つとは

「苦しみ」
「苦しみの起こるもと」
「苦しみを減らし、なくすこと」
「苦しみを減らし、なくした状態に導く道」

* 苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)
* 苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)
* 苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
* 苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)

というものです。

これを解釈しますと、まず大切なのは真実の生き方とは苦を背負いつつ生きていく道であるという確信を得ることである。

次に、そういう真実の人生を生きようとする人間の努力を妨げているもとになるのは煩悩です。

この煩悩をコントロールして、もっと澄んだ心持ちになっていけば、「苦」の世界を活き活きと人間らしく生きて行けるはずです。

そのための道を指し示しかものが仏道だ、と。

その四つを、「苦節」「集諦」「滅諦」「道節」といいました。
「諦」はあきらめでなく、「真理」です。

この四つが人生の根本にある真理だと釈尊は教えるたのです。

それを知ることは決して虚無に陥ることではなく、むしろ、よりよく生きる道が開けるということなのです。

釈尊は確かに「この世は苦である」といいましたが、亡くなる前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」といっていました。

これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」という釈尊のひとつの悟りであったよう思われます。

ブッダは何をいいたかったのでしょうか。

現実には素晴らしいものはたくさんあるし、美しいものもたくさんあります。

しかし、それらはあっという間に過ぎ去り、消えて失われていくものです。

自分も同じく、やがて死んでいくものです。

ブッダが町や木を見て「楽しい」「美しい」といったのは、苦の世界において生を肯定している言葉だと思います。

「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」というのもそういうことです。

しかし、この世という全体は「苦」なのです。

そうした苦の世界をどのように生きるかなのです。

そこから人間の煩悩を断ち切って苦しい人生をよりよく生きるという実践論が出てくるわけです。