仏陀の教え(4)苦行時代

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誰も悟りとか真実の思想に到達した者はいない

それで釈尊は出家して、最初六年間、さまざまな難行苦行を行いました。

ブッダ白身、苦行時代の初期に断息の修行を徹底的に行って、それは『アーナーパーナサティ・スートラ』、つまり『大安般守意経』としてまとめられています。

また、ブッダは断息以外にも、断食をしたり、茨の中を転げまわったり、腐敗していく死体とともに寝たりと、毎日そんなことばかりやっていました。

それを六年間も続けました。

当時はそういう苦行をする行者がたくさんいて、苦行林とか苦行山という場所でともに苦行をしていました。

でも、ブッダの目には誰も悟りとか真実の思想に到達した者はいないように見えたようです。

しかし、彼自身もそれを知ることができないまま、ついに身心が疲労し果てて呆然となってしまいます。

そして、このままではまったく無意味であると決断して山を下りるわけです。

仏陀(ブッダ-覚った人、覚者)

バラモンの考えに基づけば、この世にはどうにもならないことがあります。

この世はもう捨てて、次の世を幸せにするために、この世で難行苦行をしなければいけないという考え方です。

釈尊も、その指導に従って苦行に入りますが、六年間もの苦行の結果、それはまったく意味のないことで、むしろ害があると気づきます。

なぜ無駄だとわかったのかといえば、次の世というのがあるかないか誰も経験したことがありません。

そんな不確実なことを目標にして厳かに実在する現在を投げてしまうということは無意味だ、愚かだというのがひとつ。

それと、いわゆる楽というものを求めて苦行すれば、欲望は次々にエスカレートしていき、いつまでも苦行を続けなければなりません。

だから、欲望を追いかける道の苦行は意味がありません。

それに気づいて苦行林を出たわけです。

しかし苦行山を降りと、「あいつは苦行が辛くなって逃げた、堕落した。」と思われます。

罵言雑言を背に受けながら村へ行き、たまたま出会ったスジャータという娘に米を牛の乳で炊いた甘い乳粥をもらいました。

この乳粥は当時のインドではとても贅沢なもので、修行者が目にすれば堕落したとみなされました。

彼も迷ったと思いますが、結局それを飲んで、体力を回復します。

そのあと河のほとりの菩提樹の木陰の涼しい場所に座って瞑想に入ると次第に求める思想が明らかになってきて、暁の明星(金星)の輝きを見た刹那、ついに悟りを開いて、ブッダ(覚った人、覚者)となります。

時に釈尊は三十五歳。

そこから自らが体得した真理を伝えるために布教の旅に出て、八十歳で亡くなるまでのほとんどを旅から旅への生活を送るわけです。