仏教のことば:「縁覚(えんがく)」

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縁覚(えんがく)

自分ひとりの力で覚った人。

おのれひとり悟ってよしとする孤高の覚者。教理的には十二因縁を観察して迷いを断ち真実を悟る者をいう。師なくしてひとりで悟るので独覚ともいい,音写語では辟支仏 (びゃくしぶつ) 。

仏教には大きく分けて、
「小乗仏教」と、
「大乗仏教」があります。
それぞれ実践の方法が違います。

小乗仏教の人たちには、
教えを聞いてさとりを目指す「声聞(しょうもん)」という人たちと、
中には独りでさとりを目指す「縁覚(えんがく)」という人たちがあります。
(「縁覚」は、「独覚(どっかく)」とも「辟支仏(びゃくしぶつ)」ともいわれます)
この人たちは、自分が救われないのに他人は救えない、
ということでまず自分の悟りを優先して目指します。

それに対して大乗仏教の人たちは、「菩薩(ぼさつ)」といわれ、
自分だけでなく、すべての人の救いを目指す人たちです。
「菩薩」といっても観音菩薩や弥勒菩薩のような有名な菩薩だけでなく、
本当の幸せを求める人は、みな菩薩です。
(だから、おそらくこのサイトを読んでいるあなたも菩薩です)

このように、仏教を求める人には、
「声聞」
「縁覚」
「菩薩」

と3通りの人がいます。

縁覚は、十二因縁(因果の道理)を観察します。

十二因縁の目的

十二因縁の目的は、本当の幸せになることです。

ブッダは学問のために学問をする学者でもなければ、
科学の進歩のために研究する科学者でもなく、
どうすれば本当の幸せになれるのかという
自分の人生を問題とされていました。

そのため、世界がどうなっているのかとか、
他人のことを問題にする前に、
まず自分自身のことを問題にされたのでした。

ブッダが深遠な悟りを求められた目的は、
本当の幸せになることです。

こうしてブッダが本当の幸せを求めていかれるとき、
因果の道理を根幹として明らかにされたのが十二因縁です。