仏教のことば:「本願(ほんがん)」

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本願(ほんがん)

仏や菩薩が悩める人々を救済しようとしておこした根本の誓願。
また堂塔、仏像起工の宿願をも意味する。

阿弥陀如来といえば有名なのは阿弥陀如来の本願(ほんがん)です。
阿弥陀如来といえば阿弥陀如来の本願。本願といえば阿弥陀如来、といわれるほどよく知られています。

本願とは、誓願(せいがん)ともいわれます。
最もよく読まれる仏教書『歎異抄』の一番最初にも「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて」とあります。

誓願とは、誓い願われたこと、ということで、お約束のことです。
「誓います」ということは「約束します」と同じ意味で、結婚式の時には「誓いの言葉」が読まれることもあります。
ですから、阿弥陀如来の本願とは、本師本仏の阿弥陀如来がなされているお約束、ということです。

他力本願とは人任せにする、という意味で使われていますが、語源は仏教にあります。

仏教で言われる他力本願とは、阿弥陀如来の本願力のことを言います。

阿弥陀如来の本願力とは、すべての人が持っている暗い心=無明の闇を破り、心からの満足、幸福を与えるお力です。

本願力とは、本願の力ということです。
本願とは、本当の願い、願望をいいます。

人それぞれ、いろいろな願いをもって生きています。
志望校に入りたい、あの会社に入社したい、あの人と付き合いたい、結婚願望、あの場所に一度行ってみたい、マイホームが欲しい、どうしてもあれが欲しい…

何かあると願掛けする人も多いです。

「今年一年健康でありますように」
「今年こそ夢がかないますように」

色々な願いがある中で本当の願いは何ですかと言われれば、他のことができなくてもこれ一つ叶えばいい、一番大事な願いをいいます。

仏さまの願いとはすべての人を本当の幸せにしたいという願いです。
その願いに生き抜かれる方が仏さまで、仏さまの中の王様の仏が阿弥陀如来です。

「他力」とは、他人の力を略して「他力」と言うのだと思っている方が多いと思います。
また、自然の恵みに感謝する時に他力と使われることがあります。

実は「他力」の語源は、仏教にあるのです。

仏教で「他力」とはどんな意味かわかりますと、他力本願の意味もわかります。

では、仏教で他力とはどんな意味なのでしょうか。
このような言葉があります。

「他力」と言うは如来の本願力なり。(親鸞聖人)

如来とは、ここでは阿弥陀如来のことです。

如来の本願力とは、阿弥陀如来の本願力のことで、これを「他力」とも「本願他力」とも「他力本願」ともいいます。

他力 = 阿弥陀如来の本願力

それがだんだんと意味合いが変わっていき、今日では他人に依存することを他力本願と言われるようになりました。

仏教用語の意味とは別に、一般的に使われる「他力本願」とは、他人の力にまかせること、他人に頼ること、あるいは成り行きに任せること、という意味で使われています。もともとは誤用で使われはじめ、その意味が定着したものと思われます。

一般的に使われるときの「他力本願」は、主体性がないまま他人に依存したり、自分で努力せずに人に期待する態度を批判するときなど、ネガティブな意味合いで使われることが多いといえます。

「他力本願」とは、本来は親鸞が説いた仏教信仰の教えである「阿弥陀仏の本願に頼って往生する」という意味ですが、一般的には誤用の意味である「人まかせ」などの意味で使われています。

辞書類では、「人まかせ」などの意味は誤用であるとして解説されていますので、ビジネスなどの公の場で用いることは控えたほうがよいといえます。