仏教のことば:「偏袒右肩(へんだんうけん)」

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偏袒右肩(へんだんうけん)

インドの礼法で、仏教僧が尊ぶべき人に恭敬の意を表すとき、袈裟をひとえに右肩をぬぎ左肩のみ覆うことです。

[初期仏像の様式]
初期のガンダーラ仏は,カールした長髪を頭上で束ねた肉髻(につけい),西洋人風の容貌,両肩を覆う(これを通肩(つうけん)という)厚手の衣に深く刻まれた襞(ひだ)などを特色とし,表現は具体的・現実的な傾向が強い。一方,初期のマトゥラー仏には外来の表現技法の影響は認められず,純インド的な美意識に基づき,巻貝形の肉髻,野性的な風貌,右肩を露出した(偏袒右肩(へんだんうけん)という)薄手の衣などを特色とし,観念的な理想美を追求しています。クシャーナ朝時代にはガンダーラ地方とマトゥラーとで仏像製作をほぼ独占し,像容・表現ともにまったく異なっていた両者もやがて互いに影響しあい,3世紀になると頭髪を螺髪(らほつ)とするものが出現し,仏陀像の基本形ができあがった。※「偏袒右肩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。出典|株式会社平凡社より引用

仏様は一枚の長方形の布を、着物としてまとっています。簡単に言えば、インドのサリー(インドの婦人服)と同じような格好です。

中国や日本では、下半身を裙くんあるいは裳もと呼ばれる巻きスカートのようなものと、上半身を覆うものとの二枚構成が中心となります。

サリーでは右肩を出して着るのが一般的ですが、仏様では、右肩を出して着る場合と、両肩を覆って着る場合があります。

偏袒右肩 へんだんうけん

左肩に大衣、中衣をまとい、右肩を露わにすること。
諸仏、諸菩薩、長上に敬意を表す時、作務の時の着装法。
右手が利き手であることから、攻撃のないことを示す礼法であった。

右肩を出して着る着方を、偏袒右肩へんだんうけんといいます。右肩を偏ひとえに袒はだぬぐ着方です。偏露右肩、偏袒一肩、偏露一膊とも言います。また偏袒へんたんと略す場合もあります。

右肩を出すのは敬意を表します。もともとは給仕など、仕事をするのに便利だったことから、仕える、敬意を表す、となったようです。

また、右手が利き手である人が多いので、右手を露にする事は、攻撃しないことを示すものとして礼法となった、食事など清浄なことに使う右手に対し、左手は不浄なものも扱う手なので覆って隠す、などの考え方もあります。

中国では、片肌を脱ぐことは好まれず、僧祗支そうぎしと呼ばれる薄い衣を着けたり、偏衫へんさんと呼ばれる僧祗支を発展させたものを併せて着るようになりました。

僧祗支はインドからのもので、バスタオルを羽織ったような形になります。女性の胸が露わになることを防ぐため着用が定められ、後に男性にも広がりました。

通肩 つうけん

両肩を覆った姿。
説法の時、威儀を整える時の着装法
インドでは必要な時に通肩、偏袒右肩を自由に着装していた。

偏袒右肩に対し、両肩を覆った着方を通肩と言います。通両肩、通披つうひとも言います。お経を読んだり、托鉢、座禅、説法などは、この着方で行います。通肩は福田ふくでんの相を示す、と言われます。福田は、善い行いの種をまいて、功徳と言う収穫を得る田、という意味です。

教えを請う時や道中で三師に会えば、偏袒右肩すべき、と言われています。
三師とは、僧侶になるための儀式で必要な三人の師匠=戒和上かいわじょう羯磨師こんまし教授師きょうじゅしを言います。

最もシンプルな服装は、○○如来と呼ばれる仏様の服装です。
全てを捨て出家したお釈迦様がモデルなので、装飾品などは一切ありません。

衲衣のうえ=袈裟と呼ばれる大きな布で体を包むだけです。
ただし、大日如来だけは例外で装飾品をつけています。

○○菩薩と呼ばれる仏様は、出家前のお釈迦様をモデルとしているので、インドの王族の服装をしています。腕輪やネックレス、冠など色々な装飾品を身につけています。

○○明王になると、ほとんど衲衣つけず、下半身の裙だけで裸に近い姿をしています。

仏像とは本義では仏陀(悟りを得た人)を意味した。
現在では仏陀だけでなく諸仏、諸菩薩、祖師像までを広く仏像と呼ぶ。
広義における仏像は以下の四部に分けられる。
如来部、菩薩部、明王部、天部である。
三衣をまとっているのは本来仏像と呼ばれる如来部と、僧形をした地蔵菩薩のみである。
菩薩も明王も仏陀が出家する以前の俗衣あるいは鎧をまとっているもの、天部に至ってはインドで古来から信じられていた神の姿がある。

仏陀が入滅(480年頃)から、500年余の間仏像は作られなかった。
古代初期以来、固執されてきた仏像不表現を打破したのが、マトユラー仏であると言われています。

仏陀の死後、人々は仏陀の遺骨(仏舎利)を安置した仏塔(ストウーパ)を仏陀ゆかりの地に建立し、礼拝した。
その礼拝の方法は「右遶礼拝」(うにょうらいはい)といって仏塔がブッダそのものであるという意識から、仏塔に右肩を向けるようにしてその周囲を巡り、礼拝するというものであった。
そこにはすでに、偏袒右肩の形がはっきりと表れています。

一方密教で知られるラマ教においては、常に衣は通肩に着け、師主、長老に会えば必ず偏袒右肩して三礼すると言う。
※ラマ(喇嘛)とは凡夫を彼岸に渡す人間界の最上級の人、上人、教師の意

〈中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より〉

スッタニパータ343

第二 小なる章

〈12、ヴァンギーサ〉

わたしがこのように聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア-ラヴィーにおけるアッガーラヴァ霊樹のもとにおられた。
そのとき、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が、アッガーラヴァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。
そのときヴァンギーサさんは、ひとり閉じこもって沈思していたが、このような思念が心に起った、──「わが師は実際に亡くなったのだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。

そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て、師のいますところに赴いた。
そこで師に挨拶して、傍らに坐った。
傍らに坐ったヴァンギーサさんは師にいった、「尊いお方さま。
わたくしがひとり閉じこもって沈思していたとき、このような思念が心に起りました。
──〈わが師は実際に亡くなったのだろうか、或いはまだ亡くなっていないのだろうか?〉」と。
そこでヴァンギーサさんは座から立ち上がって、衣を左の肩にかけて右肩をあらわし、師に向って合掌し、師にこの詩を以て呼びかけた。

袈裟は、古くは両肩を覆うように着用していましたが、現在では通常、偏袒右肩と呼ばれる左肩に掛け、右肩を出すようにして着用します。

これは仏さまが両肩を覆って着用している(通肩(つうけん))のに対して、崇拝と畏敬の念を表すためで、古代インドでは尊敬する人物の前では敵意が無い事を示すために右肩を出す事という慣わしからきています。

一般的には袈裟を着る(きる)と思われがちですが、衣(ころも)は着る、袈裟は着ける(つける)と 言い分けられています。