仏教のことば:「仏(ぶつ)」

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仏(ぶつ)

梵語ブッダの音写。
悟れる者、目覚めたる者、完全な人格者、絶対の真理を悟った人。
究極の覚者。

仏=目覚めた人
目覚めた人。仏という言葉は、元々そういう意味で用いられていました。
古代インドの言葉であるサンスクリット語では「Buddha(ブッダ)」と言い、漢字で音写され「仏陀」となり、それが「仏」と呼ばれるようになりました。

「目覚めた人」といえば、2500年前の古代インドでは、お釈迦さん(本名、ゴータマ・シッダールタ)がそう呼ばれていました。目覚めた「人」というように、お釈迦さんは現在では歴史上実在した人物であることが証明されています。

サンスクリットのブッダBuddhaの日本語訳。語源・語義は明確でない。一説にはブッダの中央アジアでの音訛(おんか)浮図(ふと)に,中国で思想系統を示す家の字を加え,浮図家としたものからくるともいい,また迷いを解(ほど)く意ともいう。俗に死者およびその霊も〈ほとけ〉という。出典株式会社平凡社

仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。
出典ブリタニカ国際大百科事典小項目事典

仏とは、仏陀(ブッダ)のことです。
インドでは悟った人のことを仏陀と言います。
ですからインドには、古来よりヒンドウー教をはじめとして、ブッダと呼ばれる人が何人か居たわけです。
また、正覚者、聖者と言うこともあります。

仏教では、仏と書いてブツ、ホトケとどちらの呼び方もあります。
また、仏は如来と同じ意味で、修行中の人を菩薩、悟った人を仏(=如来)と呼ぶ場合もあり、仏の教えが、仏教ということになるわけです。
つまり。
修行を重ねて悟りを開いた人の教えが仏教であり、それはお釈迦さまの教えと言うことになります。

今からおよそ2500年前のインドで、お釈迦さまはお生まれになりました。
インドのシャキャ族(釈迦族)の王子として生まれたシッダルタ(お釈迦さまの幼名)は、自らの豊かな暮らしに疑問を抱き、さらに、自分の暮らすお城の外で、人々のありのままの様子(生老病死)を目の当たりにします。
そして、生まれる、老いる、病む、死ぬという誰もが思いどおりにならない苦しみから抜け出すにはどうしたらいいか?と考えて、楽しみにあふれた暮らしを捨てて出家を決意します。

数年間に及ぶ苦行の果てに、快楽にも禁欲にも自分のあるべき姿を見つけられないお釈迦さまは、今度は苦行を捨てます。
そして、ブッタガヤの地にある菩提樹の巨木の下で瞑想されて悟りを開きます。
その時、お釈迦さまは「我は不死を得たり」とつぶやき、その瞬間に居合わせた神々、精霊は、お釈迦さまの悟りを大いに讃えたと伝えられています。

悟りを開かれたお釈迦さまは、あらゆる苦から解脱して、心地良い安楽な状態をたっぷりと味わいました。
そして、自分が見極めた悟りの内容を誰かに話そうかと思いました。
けれども、瞑想で体得した教えを言葉で語っても、「人々に正確に伝わらない、誤解されるのでは?」と心配して、黙したまま語らなかったのです。

その時、天空からお釈迦さまの様子を見守っていた梵天が、菩提樹下に舞い降りて、お釈迦さまに悟りの教えを説くようにすすめます。
しかし、お釈迦さまは梵天の説得には応じようとせず黙してました。
梵天はあきらめることなく三度の説得(勧請)を重ね、

最後に「どうかお釈迦さま、教えを説いて下さい。あなたが教えを説かなければ、この世界はつぶれてしまします。」という切望に応じて、お釈迦さまは菩提樹下から立ち上がり、教えを説く旅に出られたのです。