仏教のことば:「即心是仏(そくしんぜぶつ)」

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即心是仏(そくしんぜぶつ)

人間が本来もっている心そのままが仏であることです。
心を単に分別判断の道具ではなく存在の原理であるとしたとき、そのまま仏である、の意味です。

仏仏祖祖、いまだまぬかれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり。・・」
「即心是仏とは、発心、修行、菩提、涅槃の諸仏なり。・・」
「いはゆる諸仏とは、お釈迦様なり。お釈迦様、これ即心是仏なり。過去、現在、未来の諸仏ともにほとけとなるときは、かならずお釈迦様となるなり。これ即心是仏なり。」

即心是仏(そくしんぜぶつ)とは、心が即ち是れ仏、つまり心がそのまま仏さまですよという意味です。

「ありがとう」というのは、感謝の気持ち。

感謝の気持ちは、仏様の心です。

「どういたしまして」というのは謙虚な気持ち。

謙虚な気持ちは仏様の心です。

「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、食べ物を大切にする気持ち。

食べ物を大切にする気持ちは、仏様の心です。

人に対する感謝の気持ち、食べ物や自分を支えてくれている物を大切にする心、人に対して驕らず、謙虚であること。

これらは全て仏様の心です。

善き心を持ち、善き行いをなす。
このとき人はどのような人であれ皆仏さまです。

しかし、人は残念ながら常にこのように行動できる訳ではありません。

困っている人を助けてあげるのは善き行いですが、つい私達は様々な理由で見て見ぬふりをしてしまうことがあります。

そんな周囲の事情や自分の都合に流されがちな私達ですが、それでも善き心とは何か、善き行いとは何かを生まれながらに誰に教わるわけでもなく分かっています。

自分の内なる善き心の声が大切です。

怠惰と無関心と傲慢さから離れ、内なる善き心に従って行動する。

このときその人の心は「即心是仏」、そのままで仏さまです。

一瞬の善き行いが、その人を一瞬の仏さまにしてくれます。

一瞬一瞬の積み重ねがその人の心を綺麗にし、さらに善き心を善き行いを導いてくれます。

焦ることもなく、頑張ることもありません。

悪いことをせず、善きことをなす。
ただこれだけです。

これがつまり、即心是仏。

簡単なのです。

善きことを少しずつ積み重ねていく。

自分なりに少しずつ積み重ねていく。

その先に仏さまの綺麗な、気持ちのいい心の世界が広がっています。

煩悩いっぱいのこの身がそのまま仏(真理に目覚めて生きる人)であると口で説くことはたやすいけれど、凡夫の身心で仏そっくりの威儀を行ずることは、とてもむつかしいことです。

良き生き方を望むならば、速やかに仏になろうとする心を発すべきです。
ほんとうの幸せを感じようと思うならば、欲望をおさえて、正しいつとめを日々怠らずに励み、自分にそなわる仏心を呼び覚ますことです。
一歩でも半歩でも、毎日無心に精進しておれば、おのずと有意義な人生になるでしょう。
菩提心・道心・仏心に根ざした生き方をしたいものです。

未だ菩提心も発さず、欲望のままに動く心識のままであれば、いつまでたってもこの身に仏心が現れない。
けれどもお釈迦さまの精神を自分の精神として、一歩でも半歩でも歩みたいと願い実践実行するところにお釈迦さまと諸仏と自分が同じになれる。

本当に楽しい日々を過ごそうと思うならば、この世の真理(仏)に目覚めようと、常に心にとめて、そこに生き方を合わすことでしょう。
そのときお釈迦さまの気高い人生が凡夫の私の中にも輝き薫る、それが即心是仏です。
自分を超えた味わい深い人生が出現するでしょう。

諸仏とは誰をさすのか、それはお釈迦様のことです。
しかしお釈迦様といっても、2500年前のお釈迦様だけでなく、即心是仏である今を生きる私たちです。