堂々巡り

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同じことを繰り返し続けることを「堂々巡り」

国会で投票によって議決するとき、議員が演壇上の投票箱に順次投票することにもつかいますが、堂々巡りとは、信徒や僧侶が願い事を叶えるために、神社や寺のお堂の周りを何度も回る儀式のことを言いました。
そこから、同じことを繰り返し続けることを「堂々巡り」と言うようになったようです。
国会もなかなか結論も出なくて堂々めぐりしてますね。

昔、現在の中国雲南省に二人の拳法の達人がいて、 一人の名は堂高、もう一人の名は堂虎といい、どちらも天下敵無しと言われてほどでした。
しかし両名とも苗字が「堂」であったことから、お互いに意識しあい、 また人々もどちらの堂が強いかと噂するようになったそうです。
そして双方ともに拳法家であった事から堂と堂は拳法で勝負することになり、雌雄を決することになりました。
しかし勝負は三日に渡ったものの、両者共に譲らず、決着はつきませんでした。
そしてこれ以降も両者の争いは続いたといいます。

そのため勝負がつかない、いつまでも同じ事を繰り返すことを堂々巡りというようになったとうい話もあります。

また今でも「堂に入る」という表現がありますが、これはこの堂高・堂虎が拳法の達人であったことに由来し、 物事に優れていること、身に着いてることを意味しています。

「じっくり考える」と言っても、ただ時間をかければいいということではないと思いますね。
時間をかけてもかけなくても同じような考えしかできないのであれば、時間のムダから。

いろんな考えで、迷うことがあるのは当たり前だと思います。
問題なのは迷い方です。迷い方にはヘタな迷い方といい迷い方があります。

ヘタな迷い方の代表は、考えの「堂々巡り」です。
まったく同じことを同じように考えて、同じように迷って同じように悩ましい思いをしてしまうこと。
それを何度も繰り返してしまうことです。
それでは悩ましい時間と回数が増えるだけで、決断できない状況は何も変わりません。

いい迷い方は、少しでも違う考え方をしようと心がけます。
「違う考え方はないだろうか」「何か足りないものがあるんじゃないか」「間違いや思いこみがあるかもしれない」「他の可能性もあるんじゃないか」など。

「堂々巡りはやめよう」と意識できれば、何か人生でも工夫できるのではないでしょうか。