十大弟子について-目連尊者(モッガーラーナ)

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目連尊者(モッガーラーナ)

神通第一の目連(もくれん)

神通第一とうたわれる目連もバラモンの裕福な家系に生まれ、幼い頃より舎利弗(サリープッタ)とは仲のよい間柄であったこと、祭りに興じている人々を見て無常を感じ、二人して出家を決意したことは、前号でご紹介しました。

幼名は産まれた村の名前にちなんでコーリタと名付けられました。

後に教団内で神通第一の尊者として舎利弗尊者とともに指導的な立場にありました。

目連も仏陀(ブッダ)のもとで修行に励み、阿羅漢果(あらかんか)(悟り)を得ました。

目連尊者の母は生涯他人を思いやることなく、もの惜しみの気持ちが強かったため、死後にその罪で餓鬼の世界へ堕ちてしまいました。

ある日、神足通(じんそくつう)(行きたいところに自由に行ける能力)という神通力によって、亡き母はどうしているだろうかと天界、人界、地獄と捜しました。

すると、母は餓鬼道にあって、身体は痩せ衰え、それはそれは哀れな様子でした。

目連は鉢に飯をもり差し出すのですが、母が口元へもっていくと、たちまち火炎と化して食べることができませんでした。

目連尊者はそれを非常に悲しみ、亡き母を救おうと神通力で食べ物や飲み物を与えようとするのですが、かえって母を苦しめる結果となってしまいます。

目連尊者は仏陀(ブッダ)の元へ行き、事の事情を話し、どうすれば餓鬼道にいる母を救うことができるでしょうかと、教えを請いますと、仏陀(ブッダ)は「そなたの母は前世の悪行によって餓鬼道に堕ちたのです。

その母を救うには雨安居(うあんご)が終る日(7月15日)に衆僧に飲食百味を供養することです」と諭されました。

教えに従って供養を尽くしたところ、目連尊者の母は衆僧の神力によって餓鬼道の苦悩から解放されました。

そこで目連尊者は仏陀(ブッダ)に相談したところ、仏陀(ブッダ)は「自分の母だけを救おうとするのではなく、大勢の僧侶に供養をすることで、広く餓鬼の世界に堕ちた人々を救いなさい」と諭(さと)されたのです。

重ねて「世尊よ、もし未来世の一切衆生で孝養の心あるものが、この目連がなしたるように供養すれば、父母を救うことができましょうか」と尋ねると「孝順の心ある者、父母を思い、7月15日に百味の飲食を供え、亡き父母のため供養するならば、一切の苦から脱(のが)れるであろう」と申されました。

この故事により、父母報恩の盂蘭盆会が修されるようになりました。

このお話を深く味わっていくと、興味深いことに気づきます。

それは救われたのは亡き母だけではないということです。

母が救われることを願っていた目連尊者も、その願いを叶えることができたわけですから、母も子も共に救われたということなのです。

その救いの背景には、仏陀(ブッダ)のお示しに素直に従えば、人が救われたという事実があります。

困ったときや悩んだときに、仏陀(ブッダ)のお示しを紐解き、そのみ教えを実践してみるのです。

そこには目連尊者のように、日頃から仏陀(ブッダ)を自分の拠り所とする帰依の姿があって始めて、人は救われるということを押さえておかねばなりません。

また、こんな逸話も語り継がれています。

仏陀(ブッダ)がある法話に臨まれたのですが、いつまで経っても始められないので、阿難尊者が「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始め下さい」と申しますと、仏陀(ブッダ)は「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。

そこで目連尊者が他心通(他人の心を見通す能力)という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、その法座から追放し、改めて仏陀(ブッダ)に説法を願ったということです。

初期仏教教団において、きわめて重要な地位にあった舎利弗尊者と目連尊者ですが、ともに仏陀(ブッダ)より早く世を去ります。

仏陀(ブッダ)の心中いかばかりであったことでしょう。