仏陀の物語(4)菩薩の修行物語

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菩薩の修行物語

仏陀(釈尊・釈迦)が祇園精舎にいた時、多くの弟子たちに、自己の出家の経緯を語られましました。

「出家する前の私の生活は大変幸福なものでした。

私の家には池がめぐらされ、美しい蓮の花が浮かんでいました。

栴檀香(せんだんこう)のかぐわしい香がただよう部屋に、カーシ産の最上の布を使った衣服をまとい、日々のくらしを送っていたのです。

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※せんだんこう

 栴檀は梵語チャンダナの音写。

センダン(栴檀)Melia azedarach は、ムクロジ目・センダン科の植物の一種。西日本を含むアジア各地の熱帯・亜熱帯域に自生する落葉高木であります。日本での別名としてアミノキ、オウチ(楝)などがあります。
香木の一種で、赤・白・紫などの種類があるという。

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私のために、三つの別殿が造られていて、それは、冬の宮、夏の宮、雨季の宮と呼ばれ、外出するときはいつも白い傘がかざされるのです。

召使いや、寄食する人々にも、米の飯と肉の食事が供されていました。

そのような生活の中にあって私は思いました。

愚かな者は、他人の老いるのをみると厭い嫌ます。

また人はみな老いゆく身でありながらそれを忘れています。

老いることを免れることはできないのに、他人の老いや衰えを厭い嫌うことは、人間としてふさわしいこととは思えない。

そこに考えが至ったとき、私は青春のもつ驕逸(きょういつ-おごり高ぶって分に過ぎた行動をすること。

)を深く省みなくてはならなかった。」

そして病いと、死について、深く思いを致したことも語るのです。

仏陀(釈尊・釈迦)の出家については、「四門出遊」の物語として世に語り継がれています。

仏陀(釈尊・釈迦)がまだ太子であった頃、居城の東門を出遊して老人と出会う。

また一日南門より出遊して病者を見、やがて西門より出て死者に出会う。

最後に北門より出、出家者を見て老病死苦について瞑想し、世を厭う心を生じたというのです。

シッダルタ太子がカピラヴァストウ(居城)を脱け出したのは二十九歳の時であると伝えられています。

愛馬カンタカに乗り駅者チャンナを一人従えて、閏房の侍女たちの眠り深い中をひそかに出門して行きましました。

南に向かって走り翌朝になって、駄者と馬を帰城させる。

そして太子の六年間の修行生活が始まるのです。

仏陀(釈尊・釈迦)が己の出家の前後について語られたことは、次の三つのおごり、たかぶりに対しての誠めとして受けとめられています。

若さを誇る、健康を誇る、生命を永遠のものと錯誤します。