仏陀の物語(5)菩薩としての修行

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菩薩としての修行

シッダルタ太子は出家しました。

菩薩としての修行がはじまりましました。

彼は出家修行者(シュラマナ)の仲間に入り、その中の勝れた指導者に教えを仰ぎましました。

それは、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという二人の修行者でした。

ガンジス河の北岸、ヴァイシャリーの近くにその二人の師は居て、弟子たちに、ヨーガの実習を指導し教えていました。

菩薩はその弟子として修行し、やがて師と同じ境地にまで達すことができましました。

人間の苦悩の根本を見極め、解決するという境地までは達しませんでした。

さらに各地を経って修行しています。

後年、彼が悟りをひらき仏陀となったとき、「アーラーラ・カーラーマであればこの境地に至り、真理を理解し得るであろう」と思ったといわれています。

菩薩はなお修行の遍歴を続けられ、やがてラージャグリハの西南、ウルヴェーフ村のナイランジャナー(尼連禅河)のほとりに至り、ただ一人苦行に入るのです。

それは厳しい断食行であり呼吸を抑制し、肉体を自ら苦しめることによって、精神の昂揚をはかり自由の境地を究めようとしたもので、死と紙一重に直面するほどの難行であったと伝えられています。

なお、目的はついに達せられませんでした。

菩薩は、ついに苦行は、解脱に到る道ではないことを悟られ、突如苦行を中止してしまうのです。

「苦行六年、集形消痩して枯れ本の如くなるも未だ解脱を得ず。

その道に非ざるを知り、当に食を受けて、然る後に成道すべし。」

そして、ナイランジャナーに入り六年の汚垢(おこう)を洗い浄めましました。

村娘スジャーターの捧げた、乳粥を食し成道に堪える体力を得ましました。

河のほとりの一本の大樹、菩提樹の下に結跏趺坐(けっかふざ:仏教の座法の一つ。左右の足の甲を反対の足のももの上に交差し、足の裏が上を向くように組む座法。)して、大いなる解決に到達するのです。

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※「趺(あし)」とは足の甲のこと、「結」とは趺を交差させ、「跏」とは反対の足の太ももの上に乗せること。したがって趺を結跏趺して坐(すわ)ることをいう。結跏趺坐は足を結んだ形をしているのが特徴であります。片足を乗せる上下で吉祥坐・降魔坐と呼びます。なお、足を結んだ形ではなく、両足を重ねる座り方を、半跏趺坐(はんかふざ)といいます。

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今年最後のお話になります。

今年もたくさんの方にこの仏陀の教え・一日一生を読んでいただいてありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。

良いお年をお迎えください。